職業としての政治

しばらく遠ざかっていたが、また新たにBlogを登録してしまった。通算12個目…。

しかし、ここ数年の間の心境の変化を受けて、今回は本名と職業を隠さずに書く方針にしたいと思っている。

今日、マックス・ウェーバーヴェーバー)の『職業としての政治』(原著1919年)を読了。佐藤優の本でこの本を下敷きにしたものが書店にあったので、先に読んでみたもの。

マルクスでもトクヴィルでもそうだが、その本が書かれた時代の政治状況を知らないと、わかったつもりでいて全然理解していないということが多い気がする。この本も確か大学生の頃に手に取ったことがある。今は多少、20世紀初頭のヨーロッパの知識が自分の中で増したので、以前よりも理解が深まったと思う。

本書の後半、「心情倫理」と「責任倫理」というキーワードが出てきて、どうやら前者を未熟なものとし、後者を大人の政治家に必要な心構えであるように語っているのだが、ウェーバーが本書のもととなった講演の聴衆(心情倫理の持ち主)として思い描いていたのは、現代で言えば、SEALDsのような学生たちだったのだろうか。