捨聖 一遍

時宗の総本山、神奈川県藤沢市にある清浄光寺遊行寺)へ行った。

敷地内にある博物館を見たが、一遍聖絵の現物の展示はなかった。何ともタイミングの悪いことだが、昨年末に3会場を使って公開されていたらしい。次に見られるのはいつになることか。

今井 雅晴『捨聖 一遍』を読み進めている。事実に関することは、「…であると言われている」などと客観的な書き方なのに、当時の人々の心の中に関することは断定調で書かれているのが気になる。まあ、学術的ではなく、時宗の開祖に崇敬の気持ちを抱く善良な一般庶民向けの本なのだろう。

なぜ、一遍に関する本を読んでいるかといえば、曾祖父と祖父の骨が納められた墓が時宗の寺院にあるのだった。

妹は、法事や親戚付き合いを厭う冷たい女で独身だが、「わたしは自分が死んだら無縁仏でいいや」と言っていた。が、それこそが捨聖(すてひじり)一遍の教えに近いのではないかという気がする。

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(追記2016.5.19)

一遍と出会った人々の間では、華(花)が降るとか、紫雲が立つとかいった「瑞相」を見たという者が多く現れたという。現代の「怪奇現象」と同じだろうか。
これに対して、一遍は、「花の事ははなにとへ、紫雲の事は紫雲にとへ、一遍しらず、」コメントしたらしい。

現代でも、例えば東日本大震災や熊本地震などが起きると、「地震の前日に奇妙な形の雲を見た」「動物が異常な行動をしていた」といったことを触れて回る人たちがいる。
おそらく、大災害や戦争(元寇)など社会に不安が広がっている状況にいると、こうしたことを口にしたくなる人間が、いつの時代にもいるということなのだろう。